Lilypie Kids Birthday tickers

2010/11/10

母国語方式

英語を発してるPinoを見て、驚くと同時に褒めてくださる大人の方々。
その中で定番になっている
「○○は英語でなんていうの?」
といった質問。
Pinoと英語を使うようになってからなのだけど、なんとなくひっかかる感覚が。

確かに学生の頃のPino_momも日本語の意味=英語の意味って回路だった…ような。
その頃のpino_momの英語はパズルをはめる行為に似ていたかな。
でも文化や背景が違うその国の言語を自分の国の習慣に当てはめることが難しいこともあって、
「これはこれ」と一概に言えないことを大人になってやっとわかってきた。


話をもどして。
なにが違和感を持たせたのかはっきりしないままなのだけれど、
もしかしたらそれは、所謂「母国語方式」か否かというところなのかもしれない。

「母国語方式」というのは、そのままの解釈で「母国語のように第二言語を習得する」という方法。
ット教材等が幼児が持つ特性の研究結果からその重要性を謳っていてよく目にする。母国語が話せるようになるまでの過程同様、赤ちゃんの頃から時間をかけて親や周りの環境から言葉のシャワーを浴び(インプット)、少しずつ自分の言葉にしていく(アウトプット)。
日本語も然り、英語も。

その言葉自体は英語で子育てをするようになってから知ったのだけれど、
Pino_mom自身も英語の「学習」方法で模索したことでもあったな。
少し余談になるけれど、
大人になってから第二言語を習得する場合、
この「母国語方式」はあまり有効(合理的)ではないとされているらしい。

すでに持ち合わせている知識や経験をフルに使って母国語で第二言語を学習すれば
効率良く習得できるのだから。
それを「外国語方式」というらしい。
それまでに得た知能を利用しろってことだね。

当時、ネイティブのようになるには母国語方式だという謳い文句の本達に踊らされて、
Pino_momは母国語のように!と気張ってみてた時期があった。

辞書を使うときには「英英」に拘ってみた時期もあったけど、
「英和、和英」を使えば意味を理解するまでの時間を短縮できる。
そのアドバンテージに勝てないことも多々。
英英辞典が苦にならなくなったのは、英語→日本語→英語の回路が英語→英語になった頃からだったろうか。

(因みに今の辞典の活用方法としては、英和、和英で調べて最終的には英英でチェックするようにしてる。
英和と英英では相違がちょこちょこあるみたいで、「そうは言わないな」と言われることが度々あったから。)



脇道にそれた
…(”_ _)

現在の我が家では対Pinoに関してはベースが「母国語方式」。
英語モードなる切り替えスイッチがどこかに存在していて、
こちらが英語で話しかけたり、海外のDVDを見たり、英語に触れると入ることが多い。
その時間はまだまだ短くON OFFが簡単に切り替わってしまう程度。

でも、それが自然と起きているのだから、
Pinoに日本語で英語を発するように促すことはあえてしないでいる。

初めPinoには、「キリン=Giraffe」等の回路はなく英語と日本語がつながっていなかったんじゃないかなと思う。

周りの大人によってその回路は作くられたのではないか、と。
遅かれ早かれ、「どうやらキリンとGiraffeは同じ動物の名前らしい」とわかるのだろうけど、
てっとり早い「近道」のような回路ができたのでは、と思う。
それを手助けしてるひとつに
「○○は英語で?」があるのかな。

こうやって年を重ねて、大人的回路(表現が正しいか怪しい;)が少しずつ加えられて、
いろいろなことを経験して学習していって知能が発達していくと
「外国語方式」が有効に働きだすんだろうなぁ、などと想像する。

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