先日からPino<Pino_momと英語の微調整をしだした我が家。
それでもこれまでの絵本(洋書)はPino_momが読みたいかどうかが最低基準だったりしたので、今月も洋書を買うことは止めない。もう自分の趣味と化してる。
語りかけに関しては、「同じフレーズのみ」+「Pinoの説明をめちゃ簡単な英語でオウム返し」は続けていた。
なんか難しいこと言われてわかんない;というのを今のPinoは一番嫌う。おもしろいことに、2,3日もすると以前のようにPinoが簡単ではあるけれど英語で返すようになってきた。
パソコンでも変わりなく自発的にOxford OwlやLearnEnglish Kidsで遊んでいる。英語での独り言(意味は特に気にしない;)も復活。
先日、アイスを食べながら
"Ice is melts."
ちょっと問題ありげな間違いが気になるところだけど;
ここ最近のPinoの様子からこのアウトプット、Pino_momはちょっと小躍りしそうになった(笑)
「日本語で」が出てきたPinoを見ているうちに、
遅かれ早かれおそらく聞かれるだろう質問が浮かんだ。
なんで英語を話すのか。
お友達はみんな日本語でしゃべってる。
日本語が通じる日本人なのに。
Aidesさんのブログで英語は話せて当然という記事が書かれていて同感した。
英語は話せて当然なんだ。というスタンス。
英語が生活にあるのが当たり前。
フィンランドにインターン中はどこもかしこもフィンランド語とスウェーデン語が表示されていて、アナウンスも両方。
大抵の人がどちらも話せると聞いた(似ているしね)。
そして英語も。苦手な人ももちろんいたけれど、それでも意思疎通はなんとかできた。
北欧を旅していた時も出会う人出会う人、ほとんどの人が英語で通じた。
英語が母国語ではなくとも、欧州では当たり前のように英語が通じる。観光地ならなお。
そうやってグローバルに考えると英語は特別なツールじゃないって感じられる。
まだまだ行動範囲が狭い幼稚園児に世界をイメージしろといっても無理があるが…。
英語じゃないと通じない人がすぐ近くにいるわけでもないし、英語を使う場面の必然性がはっきり言って今ここには求めなければ、ない。
けれど、お父さんお母さんが好きなことや当たり前のようにやってることは、
その家庭の当然で自然で、
子どもが真似したり好んだり当たり前だと思うことはすごく自然なことだと思う。
英語を話すことはなにも特別なことじゃなく、Pino_momにとっては必要なこと。
それをPinoに分かりやすく伝えるのにはどう言ったらいいだろう。
Pinoにもし英語をなぜ話すのか聞かれたら、なんて答えよう。
普段から、スイスや韓国、イギリス、フィンランドなどにはPino_momの友達がいるんだよ、とPinoには説明している。そこは英語を話したりその土地の言葉を話してるんだということも。
「だって英語話せないとお友達とお話できないから」
お友達大好きPinoにとって、これが今一番しっくりくる当たり前な理由かな。
これからお友達が持ってるからほしいとか他所と比べる場面が増えてくるだろうけど、
うちはうち。うちではそれが当たり前。と言えるよう自分の心を鍛えておかないと。
++++++++++++++++++++
ちなみに、CTPでは家から出て近所、市、州、国、大陸…と視界がどんどん広がって地球をイメージできる本がある。
女の子は気球に乗ってどんどん広い視野で世界を見渡せるようになっていく。
これを読んでPinoの頭にはなんとなく地球がイメージできてるだろうか。
※一部、正常に更新されていなかったため訂正いたしました(7/6)
0 件のコメント:
コメントを投稿